いちいの会夏季合宿研究会の記録(第1日目)
日時:平成20年8月1日(金)9:00〜17:00
場所:JA三重研修センター
T はじめに(挨拶と報告)
・挨拶
・報告 …… 会報14号の発刊について
U 研究協議(●提案者 ・質問や意見)
1.『ちいちゃんのかげおくり』の指導について
(1)第3学年国語科指導案『ちいちゃんのかげおくり』 提案者:東川有子
●ちいちゃんの寂しさ、悲しさ、心細さが子どもにわかるようにするための手だて
(2)『ちいちゃんのかげおくり』 提案者:朝田かおり
●主題のとらえ方
●指導について
@辞書の使い方…調べるのが遅い子供について、ノートに意味を写すときの指導。
A視写の進め方…今までは1日1ぺージだったが、1日2ページずつの宿題にしたい。
・指導について(三)「よけいに読者の胸を打つ作品である」という表現について説明してほしい。
●作品を読むといろいろなことを思う。その中で、ちいちゃんが幼いがゆえに自分が助かるようにうまく言えないというところを読んでいく。かわいそうだ、もっとこうすればよいのに等と特に強く感じられる。
・幼い姿が、ちいちゃんの悲惨な状況につながっているので、それを読ませたいということか。
●どうすれば気持ちがよく伝わるのかと考えて、本時の最後のところに付け足しをした。焼け跡を通りかかった人がいたとすると、見たものは「小さな女の子が息絶えている姿」であると書いた。
・少しちがうのではないか。
・小さな女の子が息絶えている姿があるということではない。深く考えすぎているのではないか。
・子供に問題作りをさせたときに、なぜ小さな女の子が…と出てきた。ずっと考えているが、ちいちゃんが小さな女の子だったということを強調する意味があるのではないかという感想を持った。
・朝田先生が言った「よけいに」についてだが、「題材について(三)」にある「ちいちゃんはたくさんの人たちの中でねむりました」が、ちいちゃんを読むときに大事なことの1つだというの
は、どういうことか。
●そうするしかなかったという状況を読ませたかった。また、その中でも眠ってしまうというところがちいちゃんの幼さを表していると考えた。
・言葉の練習の内容は何か。
●教科書の18頁の短文づくりをする予定だ。(見上げる、目を落とす、見つめる、目にする、見落とす)
・0.5時間でできるだろうか。
・動作を表す言葉は3つだけか。「目が覚める」は本文にはあるが、ここには出ていない。言葉の意味を確かめて、使えるように指導するには0.5時間では足りないだろう。作文やスピーチなどで使うように働きかけるのもよいと思う。
・「3年生になって初めて問題作りに取り組む」のだというが、どのように問題の例を示したり、作った問題から共通課題を取り上げていくのか。
●まずは、作品を読んで「どうしてかな」「不思議だな」と思ったことを書かせる。問題を作れない子供がいれば、外の作品の問題を例に挙げて説明したい。
・東川先生は、前の教材の指導で問題作りをしているのか。
●問題は作っていない。子供の感想の中から作りたいと考えている。
●何人かが感想を書いているところは、心を動かされたところだから、教師の方で問題を作りたいと考えている。
・感想をノートに書いて発表する段階で問題が出てくるのではないか。外の教材を例とするのは、子供が例示に引っ張られないようにする配慮だと思うが、それよりは子供の感想の中から出す方がよいだろう。
・今までは自分で問題を作ってきた。子供に感想を書かせているので、そこから考えるとよいと思う。
●ちいちゃんを中心に読んでいくことを言って書かせたい。問題作りのときには絞らないようにしようと考えている。
・全部の問題を取り上げて全部を話し合っていくのか、共通課題を選ぶのか。
・その点については、たびたび話題に上る。問題を全て考えていくことと、読み取りの授業とは別に扱う方がよいだろう。
●問題を全て出そうと考えている。そして、読んでも分からない問題については絞りたいと思う。授業で扱わないものもあるという点は事前に子供にも説明したい。
・鈴鹿市は教科書が違っていて、平和教材は4年「一つの花」が最初。戦争体験ということが子供にどれだけ伝えられるかが課題。夏休みの課題として聞き取りをさせている。しかし、曾祖父母の世代でないと直接体験がない。どうすれば子供たちに伝えられるか。
・いちばん最初に全文を読むときに、1年生では範読がないと読めないのではないかと思うことがある。範読はいけないのだろうか。また、自然に声がそろってくることがある。そろって読む楽しさもあるのではないか。
●自然に声がそろうのは打ち消していない。だが、声をそろえていくと、その学級の読み節ができ、子供がその節に乗って読むようになる。すると、一人一人の読みが消えてしまう。子供たちが文章を自分の読みとして自覚していかなくなってしまう。それがいちばんの問題である。
また、声をそろえると本当に読めるようになるかというと、読みの苦手な子供の状況がつかめず、どこに問題があるのか、どこでつまっているのか、指導者は把握できず、指導を放棄しているのが実状だ。
鍛えるという発想を持っていかないと、子供が自立しない。必要な苦労はさせてやる。苦労した向こう側に楽しさがある。向こう側にある楽しさを身に付けていかないと、子供たちは勉強したことを理解していかない。
読み方の速い子もいる。遅い子もいる。それが自然だし、読み慣れていくと、それぞれの読みがそろうことも出てくる。そうなったら、次にどのように舵取りしていくかは、またその次の問題になる。
・そろうときがあってもいいか。
・そろえて読むときもあっていいか。
●「そろえて読みましょう、さんはい」という指導はないということ。そのような指示自体が問題だ。例えば、算数の問題を書いたら、「読みましょう」と言わなくても読むようにしなくてはいけないだろう。問題を提示した段階で「読みましたか。」と確かめる。指示がないと動かないようではいけない。必要なら自分で動く子供に育てなくてはならない。子供ができるだけ積極的に関わるように、常に訓練していくことが大事だ。
・範読も最初にはしない。範読そのものを否定しているものではない。する場が問題なのだ。話し合いが終わってから範読をするとよい。範読は、先生が理解したものを表現するものである。子供よりも遙かに高い理解に基づいた読みである。それは最後がよい。
●範読では、悲しいところは悲しそうに読んでしまう。読み手の自由を大事にしようとすると、いらぬお節介はしない。ただし、先生が一人の読み手としての先生の理解を子供にぶつけることは大事である。あくまでも、場の問題。
●なぜ「小さな女の子」なのかという点に、引っかかりを感じる子に育てたい。初めから不思議に感じていた子も、話し合いで理解が深められていく。そういうことが大事だ。先生も同じ読者として、「おかしいではないか。」等と考えをぶつけてやることが授業者として大事ではないか。
●実際の場合、空襲警報で目が覚めたのでは遅い。ここでは、ちいちゃんたちは、いきなり危機的な状況にたたき込まれている。授業者としては、警戒警報の解説や防空体制の解説をしないといけない。
「なぜ、ぎりぎりになったんだろうね。」と切り込むことも大事ではないか。
・戦争の状況を子供につかませるのは困難であろう。戦争体験を分からせることは、平和学習として大切にされる。しかし、物語を読むときに、全ての出来事に現実感を持たせるようなことはできない。例えば、飢餓。戦後十分に体験してきているのだけれど、それを伝えることは難しい。
戦争体験を本当に分からせるということは、できないのではないか。ある学校で退職校長を呼んで戦争体験の話をしてもらったら、一年生の子供が「かっこいいなあ。」と感想を漏らしたという話がある。むしろ、紙芝居や絵本を読んだ方が効果があるだろう。
・映画や紙芝居を見せてから物語の学習をした方がよいか。
・事前にそういうことはしない方がよいのではないか。
・焼夷弾とはどういうものかという話になったときに、「火垂るの墓」のアニメの冒頭の部分を見せたことがある。
・焼夷弾は日本の家屋を焼くのに、特に効果があったもので、非戦闘員を焼き殺す非常に残酷な戦略であった。東京大空襲では、深川周辺に環状に焼夷弾を投下して何十万という市民を虐殺している。
・子供たちが物語を繰り返して読んで、状況を表す言葉を手がかりにして読んでいくことが大事であろう。
・かわいそうだということを言わない方がよい。家族に会えてよかったという読みをしている子供がいる。それを認めながら、本当によかったのかと問い返すとよい。
・「なぜふらふらする足をふみしめて立ち上がったのですか。」という発問では、「ふらふらする足をふみしめて」を子供に見つけさせたい。
・「小さな女の子」では、大勢の同じような状況に置かれた子がいたことを言う子供がいる。「たくさんの子が『死んだ』という言葉でいいですね。」と訊き、殺されたという言葉を子供から引き出したい。
●「かげおくりをして願いはなかったのでしょうか。」で、「願い」という言葉を使ってもよいか。
・それまでの話し合いで「願い」という言葉が出ていればよいだろうが、そうでなければ唐突に感じる。
・「願い」「願う」「思う」など、ずいぶん違うのではないか。
●ちいちゃんは何歳くらいなのか。
・外地から引き上げてきたときの雑踏を思い出すと、あの人混みの中で当時6年生だった自分がよくはぐれなかったなあと思う。この子は泣きもしない。よくもまあ一人でと思う。
・お兄ちゃんが負ぶわれている。お兄ちゃんが1年生か2年生くらいではないか。ちいちゃんはもっと小さい。
・3年生の子供が物語を読んだときに、実際の体験をしていなくても、自分よりも小さい子がこのような体験をしたということを想像することができる。読んでいる者にとっては、何とかしてやりたいなと思う。読み手の3年生としては、強く感じるものがあるのではないか。
最後に「小さな女の子」と書いているのは、ちいちゃんのような物語がたくさんあることを示しているだろう。
・この話に書かれている状況は、言葉から大変さを想像し、読み取ることはできる。
●いちばんかわいそうなのは、雑嚢の中の乾し飯を少しずつかじるところ。ちいちゃんの姿を思い浮かべると、ここがいちばんかわいそうに思う。
・ちいちゃんは、辛いけれど辛いとは思っていないのではないか。きっと事前にいろいろと教えられていただろう。散り散りになっても家に帰ってくることなどが話し合われていただろう。
・「お父さんの声やお母さんの声が本当に聞こえたんですか。」では、幻であることを押さえた方がよい。幻であるとはっきり読める。
・ちいちゃんには本当に聞こえた。実際には聞こえない。
●ここでは意見が分かれると予想している。そこで話し合い、状況をつかませたい。
・根拠になる言葉である5場面の「ちいちゃんがひとりでかげおくりをした」は、案外見つけにくい。
・ひとりになって二日半という説明。いつからか。
●お母さんと離れてから、二日半。
・「夏のはじめのある夜」から数えて。夜から数えるから半日と考える。「夜」「夜」「朝」と考える。
・詳しく読ませたいところがたくさんあって、いい作品だと思う。
2.『国語科の指導で大事にしたいこと』 提案:吉田正彦
『いろいろなくちばし』(1年)の指導例。
流し方の案は、『会報』15ページ以下。
最初は通読をさせる。1時間。
全文を聴写するのに3〜4時間。
全部学校で書く。
教科書の段落ごとの(改行したときの)1字下がりはこの教材から始まるので、注意が必要。この時期、子供のノートは1行10マスなので、「とがって」の「っ」は、11マス目に当たる。普通は、ぶら下がりにするが、ここで、ぶら下がりにするか、行頭に持っていくか判断して、子供に説明しなくてはならない。1行空きは見た目には分かりにくいので、この段階では、「教科書では1行空いているから、空けなさい。」と指導していく。
全文聴写が終わったら、文章の骨格というか、いろいろなくちばしについての説明がどのように展開されているのかという全体の構造、骨組みをつかませる。これに1時間。このときに、全文を書き写した模造紙を貼って使いたい。それから、内容を詳しく読んでいくのに3時間。
ただし、1時間目、きつつきのくちばしについて読みとったら、はちどりとおうむは必ずしも1時間ずつにはならずに、2つ合わせて1時間から1時間半になることもあろう。
本文の学習が終わったら、発展として、初めのくちばしの写真と終わりの鳥の写真とで組み合わせを考えさせてそれぞれが書きたい。1組を選ばせて、教科書と同じように、「説明、問いかけ、答え、説明」という順番で説明文を書かせる。発表も合わせて2時間。
それから、テストをする。1時間。
全部で12時間の扱いを考えている。
このような流れの中で、説明文の展開をとらえるときと、内容を詳しく読んでいくときとに、書き写したものや聴写が使えないかということが提案の内容だ。
まず、説明の展開をとらえさせるために、全文を書いた模造紙を貼って使いたい。どの言葉で分かるか、どの言葉が今問題になっているのかを、みんながきちんと確認するときに、特に低学年では全文があった方が指導しやすい場合がからである。
同じ形のものが3つ繰り返されることを確かめることができる。
そしてまた、きつつきのくちばしの部分を詳しく読んでいくときに、ここを聴写する。 黒板に書かれたその部分の文章から、「『これは』とはどれですか。」と、指示語をはっきり意識させる。ページの区切りがなくていちばん近いものを指している。文末が質問の形になっている。答えは「です。」と、文末が言い切りで断定の形になっている。このような文と文のつながりに関しての約束をはっきりと理解させることができる。
また、聴写、書き写しを繰り返し行うことで、説明の仕方を形のうえから学習していくことになる。さらに、ここでの学習は、『じどうしゃくらべ』で生きてくるはずだ。「はしごしゃは…どんな仕事をしますか。そのために、どんなつくりになっていますか。」というところへ発展させることができる。
文学教材でも説明文でも、聴写の繰り返しと全文提示が、読みの力を育てていくうえでかなり有効なのではないか。
・なぜ、視写ではなく聴写なのか。
●見て写すという作業は、目の動きが煩雑になり、間違いを起こしやすいが、特に1年生ではその負担が大きすぎる。また、書き写させることで、表記上の約束についての理解も同時に深めさせていきたい。書かせるときの能率、表記上の約束の理解という点から考えても、聞きながら書くようにする。
1文を読む。次に文節ごとに読む。(行頭を)1マス空けて「さきが。」分かち書きされているが1マスを詰めて書くようにする。「が」は「か」に点々ですね。と確認しながら進めていく。文字がノートのどのマスに収まるのか、句点の正しい筆順、促音の書き方、などを確かめる。ノートを見て点検する。合っていたら丸をする。間違えていたら赤で書き直す。
これをすると、時間はかかるが、「はへを」の指導など後でしなくてもよい。完全に覚える。また、書かせることで文を覚えさせる。聴写のノートには、丸がたくさん入っているようにしたい。低学年のノートは、丸がいっぱいあるようにしたい。きれいな真ん丸な丸がよい。
・説明文や詩で聴写をするのか。
●文学作品で始めたのだが、全ての文章を書く写させるとよい。自分で書いたことが指導に生かせる。
書かせる前に、必ず先生が書いておく。書き写しのノートは書き写し専用にする。
・書き間違えはどのようにして直すのか。
●赤鉛筆で直す。全部消す。後になって何行も消さなくてよいように、1文ずつ見ていく。題名を書いた段階で全員のノートを見る。次から、3分の1ずつ見ていくとよい。ただし、1マス目と10マス目の文字を確かめて進める。
間違えを直すたびに丸をつける。直した子ほど丸がたくさんになる。
・書けない子はいますね。
●文字の学習と合わせて聴写をする。書けない子も、書かせないと力がつかない。書けないからといって、放っておくわけにはいかないだろう。させる以外に方法はない。させるために、あれこれ工夫をして、努力をしてほしい。
子供が覚える。覚えたことを誉める。
文字の形を意識しなくても読めるようになった段階で、読めるようになったことを誉める。画用紙を切った短冊に単語を書いて読ませる。短冊を提示して読ませる。
困らせる以外に力を付ける方法はない。かわいそうだからやらないのでは、かわいそうを先延ばししているだけだ。今救わないといけない。夏休みに入る時期になって、外の子の半分しか書けないでは、親ががっかりする。学校は当てにしてもらえなくなる。
東京の杉並区の中学校で、学校に塾の講師を呼んできて補習をさせていたが、大阪でもそういうことが公然と計画され、やがてあちらこちらに広がるだろう。学校では力がつかない、つけてもらえないということになってしまう。
・書き写したものに書き込みはするのか。
●しない。書き写しノートには書き写しだけをする。
今行われているような気持ちを書かせるという書き込みには限界がある。それよりは、大事だと思ったところに線を引いたり、つながりを見つけて線で結ぶなどのほうが役に立つだろう。
言葉の意味などは書き込む必要がある。
・詩の学習でも同じか。
●毎時間書き写す。そのうちに覚える。
・罫線入りの模造紙を利用するとよいということか。
●そうだ。
・黒板掲示用の模造紙では、罫線は子供からは見えないが、なぞっておくのか。
・書くことに関する約束は、身に付き始めている。全文聴写をしているので、読み取りの段階では罫線をなぞっておく必要はない。4マスを1マスとして書いていくなどするとよい。
・1回目の聴写は、従来どおり黒板に罫線を引いて書いていくのか。
●そうだ。最初の聴写のときには黒板を使う。全文把握の場合は子供は掲示されたものを見るだけ。目の前に掲示される全文と挿絵が、全体の構造をつかむのに役立つ。
『はなのみち』は、文章と挿絵が交互に出てくる。全文を掲示することで、全体をつかむことができる。
『はなのみち』では、「いつの話か」と訊くと、教科書だけを見ていては子供にはわかりにくい。「あたたかいかぜがふきはじめました。」が最後にある。それよりも前のことが分かることがないか。実はここにあるんだと言って、挿絵を出す。ストーブの火を見つける子供がいることを期待して提示する。黒板の挿絵を指し示して、「これ」と言う子がいるとよい。目を集める、集中するという効果が黒板にはある。「何がわかるのか」と問いかけると、寒い季節だ、氷が張っているなどと子供が見つけるようになるだろう。
変化を確認するのに全文提示は有効ではないかと考える。
・提示した文章に書き込みをしてもよいのか。裏に写らない筆記具もある。
●もちろんよい。書きこむときに便利な筆記具があれば、大いに利用したい。
3.学校だより
(1)「てい水小学校だより」 提案者:石川通子
●短歌を載せている。
●新聞記事なども紹介している。
●次号から写真を入れていきたいと思う。
●地域の方にも読んでいただく。
●どの学年の記事も同じくらい載せられるように配慮している。
(2)伊勢寺小学校だより「伊勢寺っ子」 提案者:濱田和男
●5月から発行している。
●学校の情報発信。自分の目で見た情報を発信することを大切にしている。校長の名前を書くことの意味がよく分かるようになってきた。自分の言葉で、自分の目を通して見た、学校の情報を発信する。
●回覧板で回してもらうように公民館と連携を取っている。
●地域に発信することで、学校の教育活動の価値付け意味付けをしたい。
●学校行事や特徴的な活動を紹介するだけではなく、地道に行われている教育活動を伝えていくことが今後の課題だ。デジカメを持ち歩いている。
4.本の紹介
堀井肇
「学習障害(LD)及びその周辺の子どもたち」
「特別支援教育のアイデア172小学校編」
高瀬紋子
「太陽の子」(灰谷健次郎)
「きょうはなんてうんがいいんだろう」(宮西達也)
濱田和男
「千の風になって CDブック」(新井満)
石川通子
「えほん寄席」(小学館)
武藤耕嗣
「100万回生きたねこ」(佐野洋子)
中岡恵一
「ハリー・ポッターと死の秘宝」(J.K.ローリング)
「のぼうの城」(和田竜)
吉田正彦
「真実の瞬間」(カールソン)
「言葉と国家」(田中克彦)岩波新書
「各書店が出している小冊子」
「波」(新潮社)「冬幻」(冬幻社)「筑摩」(筑摩書房)
・江戸時代の鎖国を国際社会とのつながりの中で見るという一人の学者の学説。
伊藤さん、中尾さん(鈴鹿市立鼓ヶ浦小学校)
「商人道『江戸しぐさ』の知恵袋」(越川礼子)
池田雅治
「とうさんはタツノオトシゴ」(エリック・カール)
別当貴美子
「赤毛のアン」(モンゴメリ)
「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」(村岡恵理)
5.詩「キリン」(まど・みちお) 提案者:池田雅治
●この詩で「ごらん」と言った人物は、まど・みちおと考えてよいか。
・感動の対象となる人がいない場合には、詩や俳句では、自分の感動をそのまま書いている。
作者の感動から詩を読む立場がある。
もう一つは、読み手の理解を確かめる立場からこの詩を深く考えていく、理解していく指導がある。「どういう感じを持ちましたか。」「どういう疑問を持ちましたか。」と尋ねて、読み手の理解を確かめる立場がある。読み手がどこに感動したのかが問題の中心になる。
●子供がどこに感動を持ったかを中心に読んでいくことには、自分が考えた指導は到底及ばないと思う。
・及ぶ及ばないということではなくて、違う方向だと思う。
・60年前というのは、まず作者のことを紹介するのか。
●事前に図書館で調べた。谷さんという人が書いた本にまど・みちおさんの略歴が載っている。キリンを題材にした詩の中の一つであった。現在、まどさんは99歳だから、40歳のときの作品ということになる。それを子供に言います。
・説明するのですね。
・まどさんはどこに感動したのかということを子供に問うのか。
●子供の目の高さからキリンの姿を見たときの驚き。名古屋の東山動物園によく行ったけれど、キリンがすごい速さで走っているのを見て感動したことがある。
・1連、2連、3連と「どんな感じがしますか。」と訊いている。音楽の授業で、1番、2番、3番を歌って、「どうですか。」と訊くことと同じだと思う。その訊き方は、子供の考えがそれぞれ独立したものになってしまい、つながっていかない。新たな発見に結び付かない。
・松阪の国語部会では、また詩の学習をすることに決まったのか。
●この6日に、詩の模擬授業をする予定だ。題材は「キリン」(3年)ではないかと思うが、はっきりはしない。
・「ともだち」(1年)「ともだちいるぞ」から、「ともだちいるよ」に変わった。「いるぞ」の方が威勢がよくていいではないかという意見があった。教科書会社に問い合わせたら、まど・みちおさんが、6月の時季に子供に読ませるには「いるよ」の方がやさしいではないかと言って変更したとの返答であった。2つの詩があるととらえることもできる。