いちいの会夏季合宿研究会の記録(第2日目)
日時:平成20年8月2日(金)9:00〜17:00
場所:JA三重研修センター
T 研究協議(●提案者 ・質問や意見)
6.『空飛ぶライオン』(4年) 提案者:武藤耕嗣
●五時間扱い。読んで感想を書かせ、それをプリントにして配り、集められた問題を個人個人が思い思いに解く。その後2時間話し合いという展開。
プリントの段階で読み間違いをしていた子が4人。疑問を出した子もいた。
問題作りの段階では、読み間違いがある程度修正された。子供からは、問題がたくさん出てきた。疑問と問題は質が違うように思う。わたしが聞きたいところと子供たちの問題とがかなり重なってきた。初めに自由に考えさせるときに、どれくらいの数を考えさせればよいのかが、まだはっきりつかめていない。石になったライオンが再び空を飛ぶのはなぜかは、時間が足りなくて聞けなかった。
『百万回生きたねこ』は、同じ作者の作品として読ませたい。
・この五時間は、何かの学習の発展なのだろうか。
●発展ではない。7月の最後に時間があったので行った。
・難しい言葉の学習はどうしたのか。
●意味調べをする時間は取れなかったので、そのまま読んでいった。それほどの抵抗はなかったように思う。
・佐野洋子さんの作品がすきか。
●おもしろい。
・何となく、宮沢賢治の『オッペルとぞう』を思い出すが、最後が何か違う。
・象は助けられるが、ライオンはどこかへ行ってしまう。このライオンには救いがない。
・りっぱな姿にひかれ、ごちそうにひかれ、「お昼ねがしゅみ」ライオンのつかれたということわりとして言っている。ねこたちはしいんとしてしまった。なまけもののライオン、分からないという言葉になってしまう。つかれたんだ、という言葉で救われて、目が覚める。子供たちの受け取り方がばらばらになっている。子供たちもかなり戸惑っているという感じがする。
・『百万回生きたねこ』は、一本筋が通っているように思える。
・やっと理解してもらえた人のためにがんばってみようという話では。
・いろんな物を読んだ方がいい。どういうふうに指導するとよいのか。
・読後の感想を自由に言い合える時間があればおもしろいだろう。ライオンはおもしろいという感想に対して、おかしい、変だという意見が出ればよい。
・子供たちが話し合いになったところはどこか。
●なぜ石になったのか、が多かった。石になったライオンが生きているのか生きていないのか、意識があるのかないのかも話題になった。話し合いの中では、最後の方は目覚めが近くて、ライオンには声が聞こえていたのではないのかという話になった。
・初めの感想は、しっかり読んだ後で書かせる場合と違っているか。
●明らかな読み間違いは減る。
・問題作りは、ある程度読んでからする方が話し合える問題が出てくる。
●これまで、問題を吟味する活動はしてこなかった。だから、このライオンが雄か雌かのようなクイズみたいな問題もある。
・みんなで話し合おう、みんなのことを聞き出せる、今までの経験をもとに考えさせるもの。この話は大体こういうことを勉強していけばいいという見通しを持たせたい。ライオンのしていることが変だとか、おもしろいなど、という感想があまり出ていない。もう一つ、この話の中に踏み込めていない。こういう話に慣れていないのだろう。大体、『スイミー』とか『スーホーの白い馬』のようにがんばっている姿ばかり読んでいる。何か一つ指導を入れないとうまくいかないのではないか。ちょっとこの話は今までの話と違うなと感じているだろう。『くまの子ウーフ』で、ウーフのことをばかやなあという感想を書いている子がいたが、いろんな見方が出てくるようにしたい。
・現代的な、大人が読んでおもしろい作品だが、子供がこれを読んで生きていくうえで何をプラスにしたらよいのか、よく分からない。ねこの生き方がいやだなあ、とか、何でも与えられる今の子供たちのことは分かる。
・「ライオンは、なぜ石になったのか。」は問題にならないだろう。石になっちゃったという結果だけがそこにあるので、話し合っても奥行きはない。それよりは、長い眠りから醒めてよかったのか」、「ねことライオンは本当に親戚と言えるのか」「ライオンは本当に昼寝が好きなのか」「なぜ、ねこたちは悲しまなかったのか」というあたりは、4年生としてもつっこめるのではないだろうか。「何がライオンを目覚めさせたのか」「ライオンはどこへ行ったのか」結論が出ないかもしれないけれど、子供たちそれぞれに、消化しきれないものでも何か問題が残れば読ませた値打ちがあると思う。いろんな形で心の中に種がしこまれたらいい。
・「わたしだったら、こうするよ。」というように、自分に戻るような問いはどうか。
・物語を読むというのは、究極は全部そういうものだが、授業で戻さなくてはいけないかというと、そうではない。それぞれで受け取ればよい。『ごんぎつね』でごんが殺された、「ごんは、ばかだよな。でも、……」と思う子もいてよい。「兵十は、後々まで悔やむだろうな。もうちょっと考えればいいのに。でも考えられないよな。」などと、子供たちがいろいろなものを抱える。それが読むということだ。
・書かれている姿を理解する。本当の意味で親戚だったのか、というように、意味を拡大していく。ライオン以外にねこについて聞くところがたくさんある。「なぜ、どっと笑ったのか」「なぜ冗談だったのか」「なぜ悲しんでないのか」「なぜ怠け者という評価になっているのか」「さあて、ねこたちは、このライオン、どう見ただろうね。」
●『ガオーッ』と比べて読むのはどうだろうか。
・おもしろいのではないか。
●がんばってしまうライオンということでは通じるところがある。
●『百万回生きたねこ』は読む値打ちがあるだろうか。
・もちろんある。いろんなものを読むのに挑戦しよう。
●別紙提案の『確かな読みの力を育てる説明的文章の指導』は、総合教育センターで話したときのものだが、ここでは時間がないので、紙上提案だけとする。目を通しておいていただきたい。
7.「千年の釘にいどむ」(5年) 提案者:高瀬紋子
●子供たちがどのようにつながっているのかつかむために授業後に、振り返りを、@今日の学習でわかったこと、A友だちの意見を聞いて思ったこと、B友だちの意見で自分の意見を変えたこと、C授業の感想、という4つの視点で書かせているが、これでよいのだろうか。本時は、「釘の抜けにくさについて読み取る」ところ。
・どの学級でも子供たちは、こちらが望んでいるようには書いてくれないのではないか。
・書けと言ったら書けると思うのが間違い。甘い。子供たちが関わり合っている様子は、授業記録で後付けをしたらよいのではないか。振り返りを書かせたら友達と友達と絡み合いが出てくると考えるのはあまりにも単純。
●話を聞くようになった。最後に書かなくてはいけない、という思いがある。しかし、友達関係だけで書いている子供もいる。
・そういう刺激を与えて勉強させるのも、時には大事だと思うが、それが究極の目的になってはいけない。あくまでも、その子が主体的に読むことが目標。
・3つの視点は、子供にとってしんどいのではないか。Aの中にBのが含まれるのではないか。「分かったこと」というより、「感想、考えたこと」と幅を持たせた方がよいのではないか。
・今している授業に満足感がないから話さないということはないか。周りが受け止めてくれないということで声が小さくなっていくのではないか。指導の在り方、どういうところ変えていかなくてはならないのか、という視点に立って見直すべきではないか。
・毎時間こうするのではなくて、子供たちが読み間違いをしいてるとき、必ず気付きがあるだろうというときに書かせると書けるはずだ。いくつか経験させるといい。何もないときに書くというよりよい。
・女の子の発言を引き出すことはなかなか解決ができないが、先生とは普段つながっているのか。
●困ったことは言ってくるが、わたしたちはわたしたちというさっぱりした面もある。つながり合える部分がないと難しい。
・学級のこと、学校のことで、なかなか解決していかないときは一人一人に返ることが大切。本を読んでいるか、宿題をしているか、感想一人一人はどうだったか見直す、いろいろ話を聴いてやる。聞き上手になること。どんな本を読んでいたか話をするなど、一人一人と話をするのが大事。その人たちと四つに組んでがんばってもらいたい。
・たくさん書かせるのをやめた方がいい。例えば、課題を出したときにすぐに答えだけを書かせる。時間は、どんなに長くても3分。初めと終わりの変化をどうしても見る必要があるなら、終わったときにもういちど自分の読みを簡単に書かせる。そして、違っていたら、なぜそうなったのか。同じなら、なぜ同じなのか書かせて、それが動いた原因は何かを探す。どちらにしても、書く時間はごく短く制限して。
・授業中、初めて見た課題について自分の力で書けない子がいるのではないか。
・「初めて見た」ということは、問題作りをしているならないはずだし、授業の流れの中で出てきたのなら、その展開が必然的にもたらしたものだから、決して不意に出されたものではないはずだ。
・指導計画の4と5、6、7とでは、視点が変わっている。「白鷹さんがぶつかった難問。発見したこと。」というように、白鷹さんの立場で書かれた方が、ここは揃う。
8.「生まれたとき、ママはかわいいって言ってくれました」提案 中井 麻美
9.紙上提案
(1)『分数のたし算とひき算を考えよう』(5年) 提案者:濱千代千賀子
・5年生の算数では、異分母の分数の大きさを比べるのか。
・5年生では、分数(異分母)の大きさの比較、分数(同分母)のたし算ひき算を扱う。
・算数では、問題が大切であるが、どういう問題を提示するか。指導案の問題は、教科書の問題と同じか。
・カステラを用いたのは提案者独自のもののようだ。数字については教科書と同じであるかも知れない。練習問題として何問か出されているように思う。
・1/2から出発して3/6、5/10に流れるのではなくて、大きな分母から流す方法はないのだろうか。その方がおもしろいのではないか。
・10本の数直線が並んでいる。その中で、1/2、2/4、3/6が同じ大きさを表すことを確かめることができた。
・この指導案を見ていて、1本の細い道を歩いているように感じる。自分なら、数字が変わっても同じ大きさの分数であるということを1時間の授業の中で丁寧に扱う。ここでは、すぐに、1/2と3/6ではどちらが大きいかを訊いているが、その前に十分に子供の思考を耕すような時間が必要ではないかと思う。3頁から4頁にかけての取り組みが、提案者の学校で考えられていることかと思う。
・個別指導の「心情面に沿っての対応」について、呼名等で疑問に思うことがある。
・課題が親切すぎる。子供がもう少し苦労して考えることができる課題がよい。カステラを切ったものを配って、「9/18本に切りなさい」という問題を提示するのはどうか。
・子供が親しみやすいようにと本物を出して、知っている人の名前を問題に加えたら、子供が興味を示すはずだという、こういう考え方には落とし穴がある。
算数では、上のような親しみやすさではなく、数の世界のおもしろさをつかませることこそが大事だと思う。
このように考えたら早く正しく解けるというように、一般化できる方法を見つけさせることが大事。算数はよく山登りに例えられるけれども、山の頂上に立つこと、正答を出すことが大事。そのためには、どの道を通ってもよい。その通り道を考えるのが、問題を解くということだ。いろいろな解き方、つまり頂上へ登る道はいろいろあるけれど、その中で、どの道がいちばん早くて安全かを確かめ、以後は安全で早いその方法を使う。それが大事である。
・水道方式で言えば、水源地を開けて、そこから水道が流れるようにすることが重要である。
・教具として実物を使うこと、親しみのある人物を登場させることで興味を持たせることはよくない。
・Q-Uは、子供の満足度を測る方法で、近年広く使用されるようになってきたものである。
・それに振り回されるようなことはないだろうか。
・教科書の例題をそのまま提示することについて。例題を使うのではなく、問題を変えて出したい。例えば、3位数÷2位数を考えさせる場合、わたしならあまりの出る問題を出す。それは、水道方式で言う割り切れないことが普通で、割り切れるのはごく特別な場合だという考え方に基づく。
・問題を出したら、まずそのまま子供に解かせる。問題を整理したり解説したりすることはしない。先に、子供を問題にぶつからせることが大事だと思う。まずやらせて、そこでいろいろな解き方を考えさせる。
様々な解き方の是非を確かめ合うことで、問題文のどこが求答事項なのか、どのように立式するのか等を確かめていく。
・難問プリントはどのようにして取り扱うのか。
・予想される子供の反応に様々なことが書かれているが、授業の展開が分かりにくくなっている。子供の反応を決めつけることにはならないのだろうか。
・一般論として、実習生に指導する内容としては、できるだけ反応を予想しなさいと指導する。実際の授業でどのように反応するかは分からないが、できるだけ予想しておくことは大事なことだと思う。
・発問や指示に対して、どのような反応があるのかが分かればよいのではないか。一人一人がどのように反応するかを書く必要はあるのか。
・問題の出し方についての提言があったので、教科書の問題を使う場合と使わない場合の比較検討ができるとよい。後日改めて提案が出されるとよいのだが、どうだろう。
(2)『おおきなかぶ』(1年) 提案者:山口やよい
・動作化が第5時で初めて出てくる。第3時から取り入れてはどうか。
・繰り返しの場合は、最初を丁寧に扱うというのが原則である。
・「自分の次に力が強そうな者を呼んできているところがおもしろい」というとらえ方は新鮮だ。
・作品の主題について、「なかなか抜けない大きなかぶの面白さ」と捉えるとよい。目標に記されている主題と、題材についてで書かれている主題とにずれがあるのではないか。
10.『国語科の指導で大事にしたいこと』 講話:吉田正彦
●気持ちではない、状況を読み取らせる
気持ちだけを直接読ませるのが大事なのではない。それよりは、その人物が置かれた状況を読ませることが大事。状況が読めれば、気持ちは必然的に理解される。
例えば、『スイミー。』赤い魚のきょうだいたちに会えたスイミーについて、その前の、暗い海の底を泳いだ段階があったからこそ、喜びがあるのだと思う。
●挿絵を読むことは、1年生の初めの段階に限られる。挿絵を読むことの利点だけでなく、限界を知る必要がある。作者と画家が同一人物の場合もあるが、挿絵はあくまでも参考にとどめるべきである。
●書き写しプリントについて、普通は書き写しプリントを用意してはいけない。大事に書いたものをノートに貼り付けるということは、早い段階からさせていくということがある。
・文章の全文提示をするときには、書き写しプリントを用意して、そこに書かせてよい。B4あるいはA4判で作れる。子供たちが全体の構造を理解するために、子供たちが自分が書いたものを利用できる。ノートに貼っていく。全文を一度に写すのではなくて、数度に分けて写す。『いろいろなくちばし』では、3回に分けて書き写す。そういう方法では、書き写しプリントが使える方法があるかも知れないと迷っている。
一般論としては、書き写しプリントは作ってはいけない。
●中心点について。昔の言葉で言えば山場。読みが活発になるだけではなく、授業者が切り返しをいれていくところ、切り込んでいくところ、反対の読みを示すところ、子供の読みを揺さぶることで確かめさせるところだと思う。
●話の転換点とは、話を詳しく読んでいくきっかけになるところ。その人物が最初に出合う出来事、最初にすること等、そこから話し合っていくところ。
例えば、『スーホの白い馬』では、「ある日スーホは何をしたの。」と訊いて、話の詳しい中味に入っていく。
・本読みカードはいらないという話を聞いたが、やっぱり必要だという職員の話が出ている。教科書に○を描かせると大変な状態になる。100回読む間に、文字と文字の間が○でいっぱ
いになる。正の字を書くようにした。線路のように○を線でつないでいく子供がいる。
●いっぱいになったその○は宝だと、わたしなら思う。すごいなあと誉めたい。なぜ正の字が書いてあるのかと思った。
・困るのは、「やめ」と言ったときに、途中になるときにはどうすればよいか。
・途中でも○をつけてもよいことにするとよい。途中から読んでもよいことにする。
・○の横に母とサインしてもらう子供もいる。
・10個目は色を塗る。誰かに聞いてもらったら◎にする。このような指示をしたことがある。
・本読みカードを作って欲しいという要望が、保護者から出たことがある。カードがないので宿題として読まないときがあると言うのだ。
●読ませてみるとよい。暗記しているかどうかを確かめるとよい。
●授業時間中に読ませるときには、場面で切って読ませていく。1文読みはしない。暗記している子は教科書を見ないで言わせるとよい。
●また、暗記した子供には、教科書の教材とは別の話を読ませることも考えるべきだ。読める子は教科書を合わせて2つ〜3つの作品を読んだことになる。
いちばん最後には、先生が読み聞かせをするなどして、全員にその作品を紹介する。つまり、新しい読み物を紹介することで、学習の進んでいる子供に対応できるようにし、そうでない子供にも読書の世界が広がるようにすることが大事。
11.「吉田先生の授業から学んだこと 〜『白いぼうし』〜」 提案者:川合淳一
●吉田先生から、「わたしは、きみたちをぎゅうぎゅう言わせようと思っていたけれども、みんなはとてもよくがんばりました。」という言葉をもらって、子供たちが納得していた。
●感想に、「吉田先生は厳しいです。」と書いている子もいた。音読を毎日3回という宿題を出されて読んできていた。
・最後に音読をしているが、読み方が変わったか。
・言葉の捉え方が変わってきている。1年生のときから音読の姿を見ているが、変わってきている。
・音読の8つの約束とは何か。
・「初めから自分で」「はっきりと声に出して」「自分の速さで」「自分の声の大きさで」「書かれているとおりに正しく」「終わりまで通して」「『やめ。』と言われるまで何度でも繰り返して」「途中で読み方の分からない漢字や意味の分からない言葉が出てきたら赤鉛筆で線を引いて飛ばして読む(ただし、後で調べる)」ということ。
・「松井さんはどこを見ていたか。」「松井さんにとって女の子はお客なのか。」という発問のねらいは何か。
・松井さんは、女の子を見ているのではない。バックミラーで男の子を見ている。男の子のことばかりを考えている。女の子はお客であるし、言葉ではお客として扱っている。行き先を訊いて向かおうともしている。しかし、男の子のことばかりを考えていて、本当にはお客として扱っていない。子供たちは、そういうことをこの問いで気づかせられると、松井さんはやさしい人物だという考えがぐらぐらする。
●あまり発言しなかった女の子が発言するようになってきた。教科書から言葉を探そうとしていた。
・その女の子たちは授業以外のときも声が小さいのか。
●普段から声が小さい子も、大きい子もいる。
●吉田先生は、子供の声が聞こえないということを言わない。誰よりも先生が子供にとっていちばんの聞き手になる。そのことで子供に聞く姿ということを教えていく。
・小さい声の子供の側にいつも立つということが大事だ。
・「引っ込み思案の子供に糸を結ぶ」というのは、どういうことなのか。
・あまり話さない子供には、授業以外の場面で個人的な接触を図り、結び付きを作るということ。それがとても大事である。それを繰り返すことで、子供の中に安心感ができる。
・句読点は書き手の呼吸で、読み手の呼吸とは違う。「どうして、どうして。どうして、どうして。」という会話文があったとすると、読点の長さは違うはずだ。また、句点の間が読点よりもいつも長いとも言えない。それぞれがそれぞれの思うように読めばよい。ただし、聞き手を意識して読むことは大切だ。聞いている人が分かりやすいように読む。根気よくそういう態度で接していく。読みは、音読も読み取りも自由だと思わないと、いろいろな意見が出てこない。
11.『みんなで生きる町』(6年)の指導について 提案者:別当貴美子
12.『ごんぎつね』(4年) 提案者:中岡恵一
●主題の「親しみや憐れみを寄せていった」という表現について迷っている。
●「いつ、どこでの、だれの話か」は、2時間扱いとする。そして、ひとまず一度言わせてみたいと考えている。「昔の、中山というお城の近くの村で起きた、兵十とごんぎつねの話」というように言わせてみたい。
●物語の内容を絵の中に表してみたい。できるだけ、教科書の挿絵に合わせておきたい。兵十の家が城の右側にあるが、むしろ左側の方がよいかもしれない。こういうことが必要かどうかを含めて教えて欲しい。
●ごんぎつねが、子ぎつねではないことを押さえたい。
●読み取りの第1時では、ごんの動きを押さえながら読ませたい。村の川の堤へ何をしにいったのかを考えさせたい。いたずらをしにいった、川の様子を見に行った等。
●ごんが兵十の様子を見ていた中で、特によく見ているのはどこか。きらきら光る魚の腹ではないか。それがいたずらにつながったのではないか。
●その続きは発問、板書を絞り切れていない。見つかった、うなぎを首に巻き付けたまま逃げた等、最後の場面の伏線となる。
・満月と影の位置を考えながら絵を見ていたのだが、吉兵衛の家に行くところ、帰りの位置関係はどうだろう。
・「ただのときには水につかることはない。」いつもは水に浸かることがないのに、3日もの雨で水に浸かっている。そこにごんは興味を持ったのかなと思った。
・感想や疑問を出し合って考えを書いて、すぐに読み取りに入っていく。いわゆる課題作りは、感想の中から選んで拾い上げていくのか。
・読み取りの第1時の板書計画で、課題を板書しないのか。かつては書いていたのに書かない。転換点がはっきりしない。
●課題をみんなで選ぶという活動を、指導計画に入れていない。これは、みんなが出した問題について自分の考えを書くということが、選ぶということになるのではないかと思っているから。みんなが出した問題について自分の考えを書くということは、『白いぼうし』で取り入れた。時間的な理由もあるが、実際にやってみて問題を選ぶ活動を入れたときと比べて大きな違いはないと感じた。
板書に課題がないということは、この場面で大事なところは4点ある。分散しそうなので課題を書かない予定だ。中心になる課題があるなら書くつもりだ。
・課題をどう選ぶか、使うかは別にして、この問題をどう読むかということを大切にするために、問題を選ぶという活動が通り道として重要ではないかと思う。話し合いの中心が分散しても、課題を板書として書くべきだと思う。
・子供たちが自分で物語を読むという力を付けるために、課題を持って読むということも大事な学習の方法だと思う。課題を書くことも大事だと思う。友達の作ったたくさんの問題の中から自分が考えたい問題を選ぶのも大事な活動だ。問題の値打ち、内容の取り方も大事にしたい。『ごんぎつね』の書き写しは冬休みに、言葉調べを100個したことがある。
・堤へ出かけたことについて、子供の反応を予想しているが、どれもぴったりしない。ごんは、じっとしているのがきらいな性格。今まで置かれていた状況をよく読むことが重要だ。ただ何となくぶらぶら出かけた、村へ行く途中というのはどうか。穴の中にずっといたごんの状況を読むことが大事だ。
・いたずら好きというところで、うっぷんが溜まっている。兵十だなということが分かった。誰かにいたずらをしようと思って出かけたという意見も出てきた。
・絵を使うのはどうか。
・絵をときどき使うけれど、固定化される怖れがある。それは問題だ。位置関係をはっきりさせることについては、疑問が残る。あまり賛成できない。
・動作化するところしないところがあるように、絵も使うところ使わないところがある。
・はっきりしているところはよいが、はっきりしないところでは絵は使えない。
・位置が取りにくい。満月についても、時間との関係を考えるなどしてつきつめていくとどうにも解決できなくて、かえって身動きが取れなくなってしまうこともある。
・文章を読んでもはっきりしない場面は、絵にしない方がよい。
・いちばんの心配は、びくに頭を突っ込んだところだと思う。あまりにも無防備で警戒していない。だから、兵十の声に驚いている。
・小川の堤が目的地だったのかな。疑問に思う。
・答えとしては村へ向かう途中だったと導こうとしているが、無理があるか。
・とにかく出ていって小川で……ということになる。
・「特に目を引いたものは何だろう」かな。見つからないように…とびくの中に頭を突っ込んだという行動が極めて対照的。これは、いわし屋が出てくるの場面での行動につながる。いたずらをしたところを見られている。
・むしり取ったりいろんなことをしました。村の茂兵衛から聞いた話。話の中で、そのような行動をしたことになっている。菜種がらに火をつけたことまで、ごんのしわざにされている。
・「いつ、どこでの、だれの話か」は、1時間では難しい。季節を表す言葉を取り上げて1時間。だれの話かの話し合いに、「ごんというのは、どんなきつねか」を含めて扱っていくようにしたらどうか。
・感想や疑問を書くときに、別々に書くのか。
●疑問については短冊に書かせる。次の日に一覧表にして印刷して配る。
・課題を子供たちが作らないとすると、先生だけの課題で進んでしまう心配がある。子供たちの疑問を、課題としてどのように取り入れていくかについて十分な配慮が必要になる。
●問題を選ぶという活動を入れたいと思う。
・10月の発表の教材は何か。
・『ごんぎつね』で提案したい。「引き合わないなあ」の状況を読ませたい。辞書を引いてもすっきりしない。
12.学級通信「だんらん」 提案者:中岡恵一
V 終わりに(挨拶)
・忙しい中にありがとうございました。
・例年以上に深い検討ができたように思う。
・ここで得たものを2学期の実践に生かして欲しい。